鎌倉山生活雑記


追いやられる爺婆

 

先日、諸用で中目黒まで行った。我が家からだと、湘南モノレール湘南深沢駅から大船駅まで行き、湘南電車で横浜へ、東横線に乗り換えて中目黒まで行く。行きは良かったものの、用を済まして午後六時すぎに帰路につく。中目黒の駅では、シルバーシートの場所を確認して列に並んで電車を待っていた。電車が来た。ラッシュ時ということもありシルバーシートは若者で満席。気がつけば、そこに立って吊り革にぶら下がっているのは年寄ばかり。若者たちは全員スマホに取りつかれている。その時に感じた。「シルバーシートなんて、いかにも親切そうな題目のもと、本音は爺婆は車両の隅っこにまとまってろ」と、言うことではないのか。とうとう横浜まで誰も席を譲ってはくれなかった。人混みと電車の揺れもあり疲れ果てた。行きはよいよい、帰りは怖いとは、まさにこのことだ。

私が日常使っているバス路線も、運転手不足という名目で一部路線が廃止になったり、一時間以上バスが来ないこともある。ここ鎌倉山はまさに過疎地となりつつある。

 

旅行に行き、フォレスト・アドベンチャーなどの冒険アミューズメントには、いくら体力に自信があろうとも70才以上は参加できない。

 

最近のニュースによれば振り込め詐欺防止のためという名目で、75才以上の年寄は、一日30万円以上はATMを使えなくなるという。いくらリッチな老人でも使えない。銀行窓口をやっていない休日に多額の現金が必要なときはどうすれば良いのだ。仕方なく、ある程度の現金を自宅に置いておけば、老人宅を狙う強盗に入られる。

 

免許の更新を前にして、老人用講習会を受けろという。しかも、聞いたところによればタブレット端末を使うという。アナログ爺婆は対応できない人もいるだろうに。その上、有料だ。

交通事故を起こすのは、まるで年寄ばかりと思われるようなニュースの取扱いだ。さらに、年寄には運転免許を返納しろと促す。

年寄には、わけの分からぬマイナ免許証まで発行するという。

 

年金は徐々に減り、ポストには高齢者医療保険納付通知書なる封書が入っている。年金生活者にはけっこうな金額だ。

要介護で仕方なく施設に入居している老人からも介護保険料を徴収する。しかも年金から差っ引きだ。

 

それぞれ最もらしい名目を並べながら、その実は爺婆を追いやっているように思えて仕方ない。なにが長寿国ニッポンだ!

老境に域に達し、つくづく思う、「ああ、アナログな昭和がよかったな〜」。


アボカド

 

今回書くことは、まるで小学校の理科の観察記録だ。

昨年10月、アボカドを食べたあと、種を捨てようと思ったが、その大きな立派な種に見とれ、いたずらに爪楊枝を3本さしてショットグラスに水を張り、日差しが柔らかい窓辺に置いてみた(下の写真1)。

11月9日、気がついたら下の方に白い突起状の根らしきものが出てきた。(写真2)

そのあと、2週間ほど海外に行ったので、留守の間の水やりだけは娘に頼んでおいた。

帰国後12月7日、小さな茶色の芽らしきモノが種の脇のほうに見える(写真3)。

その後、根も芽もどんどん伸びて行く。ショットグラスでは小さくなったので大きめのガラス容器に入れ替えてやった。

年は開けて2月には、茎はグングン伸びて、突先に鮮やかな緑色の小さな葉が3枚見える(写真4)。 

そして先週(3/18)の写真が冒頭の写真である。根は茎以上に太く立派に育ち、葉も大きくなり、茎の途中には枝芽と思しきものも何箇所か見える。

さて、この先どうしよう。鉢植えにして観葉植物とするのも一考だが、食いしん坊爺としては、なんとか結実させて、喰ってみたい。

ということで、もう少し暖かくなったら地植えにしてやろうと思っている。

しかし、なにやら調べてみると1本では結実するのは難しいとのこと。さっそく今日の買い物リストに「アボカド」と記した。

いつの日にか、我が家で収穫したアボカドを食べてみたいものだ。

そのままサラダの具でも良い、生ハムに包んで食べるのも旨い。すりつぶしディップにしてポテトチップスなどと一緒に食べても良い。

夢は膨らむのだが、はたしてどうなるのか。お楽しみはこれからだ。

 

250323


電チャリ

 

「電チャリ」、電動アシスト自転車の俗称だ。ここ鎌倉山は起伏に富み、とても普通の自転車では対応できない。かと言って、車ばかりに頼っていればガソリン代も馬鹿にならない。体力も落ちてしまう。

そろそろ気候も暖かくなるということで、冬眠していた電チャリをガレージの奥から引っ張り出し、一晩かけて充電し、タイヤに空気も入れた。規則なので、仕方なく似合わない自転車用のヘルメットを被って出発だ。

久々に海を目指す。バス通りまで出れば、あとはずっと下り坂だ。スピードが出すぎないように少しブレーキレバーを握りながら、スイスイと進む。

スピードに応じて顔と身体にさわやかな風を感じる。ただ、補聴器の風切り音が悲鳴をあげている。仕方なく信号で停まったときに補聴器のスイッチを切った。どうせ自転車で走りながら他人と会話することもないだろう。

腰越から海沿いの道を鎌倉方向に向かう。小動(こゆるぎ)辺りの多少の坂も電動アシストは機敏に対応してくれる。海風が気持ちいい。砕ける白い波、太陽に反射して眩しく光る水面(みなも)。暇そうに浮いているサーファー達。すぐ横を江ノ電がきしみ音を響かせながら通過していく。

「坂の下」あたりで、しばし休憩。海辺におりて深呼吸。汐の香りが気持ちよく鼻腔をくすぐる。

海を離れ、長谷を目指す。ここから大仏までの渋滞と人混みを横目に、少しの坂も苦にせずに進む。

八雲神社を左に折れて、ここからしばらくの間、急な上り坂になる。6段ギアを徐々に切り替えても、結構な体力を必要とする。普段使っていない腿の筋肉の悲鳴が聞こえるようだ。なんとしても自転車を降りたくない。自転車を引きずりながら歩くのでは、みっともない。ペダルを踏み続ける。やっと、なんとか若松バス停まで頑張る。あとはしばらく緩い下り坂だ。

住吉バス停を右に曲がる。いよいよ最後の難所だ。ここもギアを落とし、なんとか自宅に辿り着いた。

まさに「行きはヨイヨイ、帰りは怖い」というミニサイクリングだった。

うっすらと汗もかいた。冷え切ったビールが五臓六腑にしみわたった。

 


Noppe Live 100回記念ライブ@藤沢インター・プレイ
Noppe Live 100回記念ライブ@藤沢インター・プレイ

「百」

 

今年は、昭和百年にあたる。

テレビのコマーシャルによれば、キューピーマヨネーズも100周年とのこと。当初の社名は「食品工業株式会社」と言ったらしい。

他にも「JTB時刻表」の創刊(当時は「汽車時間表」)、東京六大学リーグ戦の開始、山手線の環状運転が始まったのも100年前だ。

そして、放送が始まって100年でもある。

1925322日に、現在のNHK東京放送局の前身、社団法人

東京放送局が日本で初めてラジオ仮放送を行なった。322日は放送記念日となった。

民間放送局として「ラジオ東京」(現TBS)が開局したのが1951年。私は、そのTBS1969年に入社、63歳まで41年間務めた。

私事は、さておいて、「」は不思議な漢字だ。

漢字の「年」は「ももとせ」とも読む。「」は「もも」、「年」が「とし」、ちょっとなまって「ももとせ」なのだろう。

考えると、身の回りには多くの「百」がひしめいている。

以下の熟語あなたは、いくつ読むことができますか?

・百日紅

・百済

・百舌鳥

・百足

・百合

・百敷

正解は、上から順に、「さるすべり」、「くだら」、「もず」、「むかで」、「ゆり」、「ももしき」だ。

またもや私事で恐縮だが、私が「Noppe Live」と称してソロやグループで弾き語りを始めたのが58200411月のこと。鎌倉山交差点すぐそばにあった「ブオーノ」というレストランでソロライブをやった。それを

第一回として、以後ずっとナンバリングを続けている。

回目の「Noppe Live」は20101月だった。そして、まもなく470回になる。歳とともに、徐々に歌詞も覚えられなくなり、ギターのミスタッチも頻繁だ。「戦錬磨」とはいえ最近はどうも緊張感に欠ける。これではいけない。

里を行く者は九十を半ばとす」を念頭に、なんとか五百回まではたどり着きたいものだがーーー。 


満開の梅を愛でる

 

2/26、風は多少あるものの、初春を思わせる温かい日よりに誘われて、梅で有名な常立寺(じょうりゅうじ)まで歩いて行こうと思い立つ。スマホで調べると、寺は湘南モノレールの終点「湘南江の島」駅の近くらしい。

スタスタと山を降り始める。下りきった所で急に便意が襲う。この状態で歩き続けるのは危険だ。そうだ、直ぐ側のスーパーでトイレを借りようと向かったところ、改装工事中につき中には入れない。困った結果、ここから歩いて数分、モノレール「西鎌倉」駅で用を足すことに。改札を通過し、無事にトイレにたどり着く。結果、なんとか無事に用を足して、心も腹もスッキリ。一安心し、そのままモノレールにで「湘南江の島」に行くことにした。「歩いて」という当初の目的とは外れるが、その辺は臨機応変というところだ。

「湘南江の島」の駅を降りる。雲一つないこんないい天気に、いつもならまっすぐに進み、江ノ電の江の島駅を通過して海に向かいたいところだが、そんな心を抑えて、逆方向に進む。ほんの数分で目指す常立寺に到着。

 

こんな所に、この様な古い大きな寺があるとは知らなかった。立派な本堂の脇には紅梅と白梅のしだれ梅が、今まさに満開だ。青空に梅の花が映える。境内には家族連れや大きなカメラを手にしているオジサン達もいる。みんな和やかな良い顔をしている。

愛らしい六地蔵がある。各々が違うポーズというのも珍しい

 

しばし梅を愛で、ついでに片瀬山公園まで足を伸ばすことに。湘南白百合学園のそばを通る。昔、この上にはゴルフ場があった。白百合の校舎がある辺りにクラブハウスがあり、江の島の花火を見に来たことなど思い出す。

モノレール「目白山下」駅にたどり着き、公園に入る。看板を見てここの名称が「片瀬山公園」ということを初めて知った。ずーっと今まで、この公園は「目白山公園」という名前だと勘違いしていた。

ここの梅林も、まさに満開。この公園はそれほど有名ではないせいか、人もまばらだ。梅林を一段あがった広場には櫻の林もある。もう少ししたら、また花見に再訪しよう。

 

 

帰路は西鎌倉まで歩いたところで、タイミングよく来たバスで帰宅。長い上り坂は回避できた。それにしてもブラブラとよく歩いた。我が家のデッキで日向ぼっこをしながら手軽なランチ。缶ビールが喉にしみた。


タラレバ

 

していたら(したら)、もし していれば(すれば)」という意味で使われる「タラレバ」という俗語。

歳を重ねると、後悔も含め「あの時、こうしていればーー」、「こうしていたら」と思うことしきりだ。

個人的なことは置いておいて、ここ鎌倉山にも過去に大きな「タラレバ」があった。

 

現在、大船から江の島までモノレールが通じているが、その計画が発表された当時の話だ。鎌倉山の住民は、レールの敷設により景観が損なわれると大反対したという。

車両がぶら下がる懸垂式のごついレール、そのレールを支える太く大きな柱は、たしかに醜い。当初計画では鎌倉山交差点に駅を作る予定だったらしいが、住民の反対運動で、しかたなく山の下にトンネルを堀り現在に至る。

以来、当地はバスに頼ることになった。ところが、人材不足が影響しバスはどんどん減便され、現在は一時間以上バスが来ないこともよくある。

JR大船駅から鎌倉山に来るバスの最終便は夜9時、その前の便は夜8時という事態だ。これでは都内に通勤している人はタクシーか歩いて帰宅するしかない。さらに平日の江の島行は、とうとう無くなってしまった。まさに鎌倉山は絶海のの孤島化、過疎化が進んでいる。

鎌倉山にモノレールの駅があればーー、あそこに駅があったらーー。今ここに住む多くの人達が感じている。

鎌倉山にモノレールを通すわけに行かないものか、せめて現在のトンネルの入口あたりに新駅を作るわけに行かないものか。新たな住民運動の兆しもある。

あまりに不便なので当地の某有力者がボランティアで小さなバスを走らせるべく提案したが、現在のバス運行会社は「それなら、もっと減便する」と脅かされたという。

モノレールの財政がもっと良好であればーー。バス会社の人材が豊富だったらーー。嘆いていても仕方のないタラレバ。

 

先人のおかげで、たしかに景観は保たれ、自然豊かな山ではあるものの、ここに暮らす人達も変わった、生活も変化した。不便の効用としての景観と、生活の足の確保、さてどちらを優先すべきか、今後どうなるのか気になるところだ。

 


プレゼント

 

テレビなどでは、あまり報道されていないようだが、石破首相は日米首脳会談に当たり、トランプ大統領への手土産として、彼の地元・鳥取市で販売している金色のかぶと飾り(写真)を贈ったという。エミー賞、ゴールデン・グローブ賞に輝いたドラマ「SHOGUN 将軍」のヒットにあやかったらしいが、はたしてトランプ大統領はドラマを見るのかな?

 

やれ、バレンタインとか、クリスマスとか、旅のお土産、誕生日、結婚祝い、はたまた還暦、喜寿、卒寿など、プレゼントをあげたり、もらったりすることが多い。

昔はバレンタイデイには抱えきれないほどのギリチョコを頂いたものだが、さすがにこの歳になると、頂いたバレンタイのチョコはたった一つだった。しかし、いかにも心がこもったチョコは嬉しかった。美味かった。

さて、問題はバレンタインではなく、誰にどのようなものを、どのような機会に差し上げるかだ。リクエストなど、相手の希望がわかっているときは問題ない。相手の趣味や着るものの傾向が明確なときも良いだろう。

貰う立場から考えると、「こんなもの、もらってしまい、捨てるに捨てられないし困った」という経験がある人も多いと思う 

迷ったら「消えもの」だ。飲み物、食べ物、そして相手が女性なら花束も良いだろう。

 

旅の土産も悩みどころだ。新鮮な野菜や果物など、旅先の名産は良いだろう。避けたいのは真空パック入の賞味期限がやたら長いものは避けることにしている。(ギリ土産には便利だがーーー)。

つい先日、上の孫の誕生日。孫達へのプレゼントは毎年決めている。アマゾンのギフト券。実利的なプレゼントだが、これは便利だ。自宅のパソコンとプリンターでカードが出来る。

これも「消えもの」。あっという間に消えてなくなるらしい。

 


ロケット

 

ちょっと臭い話である。先日、某和食レストランでトイレを借りた。

実にきれいなトイレに感心した。トイレがきれいな店は料理も旨い。

さて、俗に「あさがお」と呼ばれる男子小便器の前に立つ。ふと見ると、目の前に写真のような張り紙があった。まあ、実にうまく詠ったものだ。

そこで、急に思い出したことがある。その昔、赤坂TBS会館の地下にあったレストラン「トップス」の男子トイレだ。そこには以下のような文字が刻まれたプラスチックのパネルが貼られていた。

Stand closer please.

Your HONEST JOHN is

Not so long as your expect. 

オネストジョン
オネストジョン

「オネストジョン」、若い人たちは知らないだろう。それは、1950年台に登場したアメリカ合衆国初の核弾頭搭載地対地ロケット弾のことだ。それにしても「正直者のジョン君」とはよく言ったものだ。

これらのメッセージは、トイレをきれいに使ってもらいたいというメッセージだ。

そのロケットを、いざ発射しようとすると、射撃のマトのような小さな丸い同心円のシール状のものが「朝顔」の中心あたりに貼ってある。ここを目掛けて発射しろ、ということらしい。これも綺麗に使ってもらいたいという工夫だろう。

ところが、これが意外と難しい。年をとるとともにロケットの発射も勢いがなくなり、なかなかマトに命中しない。

 

くだらない話を書いてきたが、どこかの国のロケットボーイは、国民の貧困もよそに、超高価なロケットを発射しほうだいだ。

 

なんとかマトを外さず、しぶきも控えめに、せいぜい我が国のEEZ外にお願いしたいものだ。今回の話、彼の跡継ぎの娘はわかんないだろうな!


朝風呂の快

 

「小原庄助さん、なんで身上(しんしょう)つぶした。朝寝、朝酒、朝湯がだいすきで、それで身上つぶした。」

会津地方に伝わるという、この歌。もともとの歌と多少違うかもしれないが、私が幼い頃に聞いたのは、この歌詞である。

たまに旅行で温泉旅館に泊まると、この気分が味わえる。旅館の朝飯は、鮭の切り身、漬物、味噌汁など塩分が多い。ということは喉が渇く。ということは必然的にビールを飲みたくなる。飲めば、自然に眠気が蘇える。部屋に戻りチェックアウトまでウトウトする。

まさに庄助さん状態だ。旅先では良いものの、貧乏性の小生は自宅で、そういう訳にはいかない。朝のうちに、炊事、洗濯、ゴミ出しとすることも多い。とは言うものの、風呂だけは朝はいる。これは色々訳がある。まず、夜な夜な飲む酒が一因だ。どこかのタレントさんではないが酒を飲んで風呂に入り亡くなる人が多い。私の仕事の先輩は、ゴルフ場で酒を飲んでから風呂に入り、亡くなった。

もう一つの朝風呂理由は、朝の散歩だ。真冬でも、雨が降らない限り約一時間の散歩をする。寒風吹きすさぶ朝でも、歩き終わる頃には、薄っすらと汗もかくが、それに反して手袋をしていても指先や耳、足先などは凍りつくように冷たくなっている。その冷え切った体を湯に委ねる。我が身が徐々に解凍されていくのを感じる。

私の朝風呂の入り方、まず、服を着たまま風呂の蓋を開け、更にシャワーの湯を勢いよく出しっぱなしにする。それから脱衣所に戻り、服を脱いだり、ときによっては洗濯機のスイッチを入れたりしてから風呂場のドアを開ける。その頃にはシャワーを出しっぱなしにしてあるので、もうもうと温かい湯気が我が身を包みこんでくれる。そのままシャワーを浴びてから風呂に浸かる。温かな湯気に包まれた風呂場はなんとも気持ちがいい。朝日に照らされた庭を見ながら、今日一日のこと、家族のこと、さてはホームページに何を書こうか等いろいろ考える。

私にとって、朝風呂は思考の場、そして至高の場でもあるのだ。

 


鎌倉市最高峰 大平山にて
鎌倉市最高峰 大平山にて

天園ハイキング

 

年頭に初詣も兼ねて10キロウオークをしたことは、書いた。それに気を良くして、1/23の水曜日に鎌倉では代表的なハイキングコースを歩いた。朝の9時半、北鎌倉駅をスタート。まず建長寺まで行き、拝観料を五百円払い、久しぶりの建長寺を散策。その立派な古い建造物には圧倒される。有名な柏真の巨木にも手を合わせる。

境内をどんどん進み、不揃いな急階段をどんどん登ると半僧坊にたどり着く。ここからがハイキングコースになるのだが、ここに来るまでに、すでに肩で息をしている。更に階段がずっと続く。やっと頂上まで来て、早くも休憩。その後、尾根沿いに細い道をたどる。上下する坂道、岩登り、ロープを使って降りるような急斜面などを行き約2時間で、鎌倉市の最高峰「大平山」山頂に。すこし下り、天園の広場で野芝に座りながら、市街の向こうに広がる海の眺望を愛でる。さわやかな微風に、かいた汗も収まった。

ここからは、大したことは無いだろうと思っていたものの、急な下り坂は、うっかりすると滑り落ちそうだ。更に、その先には湿地帯があり、連日の天気にもかかわらずドロドロに濡れた岩肌は滑りやすくビクビクしながらの歩行だ。

鎌倉宮にたどり着いたときは、すでに12時を回っていた。どこかで旨い蕎麦と、生ビールを飲んでから帰ろうと思うものの、私の知っている旨い蕎麦屋には何故か瓶ビールしかないことを思い出した。蕎麦と生ビール、どちらをとるか、歩きながら悩む。もう「別れ道」の信号もすぎ、ウロウロしている間に、とうとう鎌倉駅まで歩いてしまった。

そこで、以前にも行った駅ビル二階の「風凛」へ。ここで、冷えた生ビールと生牡蠣2個を喰らう。ビールの泡が喉に染み渡り、牡蠣の海の香りが鼻をくすぐる。ああ幸せなり。

 

帰宅後に風呂に入る。毎日、散歩がてらウオーキングをしているものの、久しぶりの山道に、普段使っていない筋肉も心地よい叫びをあげていた。

生活歩数も含め、当日歩いた距離は11.8キロ、歩数は21千歩だった。


ロスの山火事に思う

 

1/7に発生したロスアンゼルス近郊の山火事は未だ収まらない。アメリカ史上最大の火事だという。ロスアンゼルスの北東、私の娘が暮らしているパサディナも迫りくる山火事に避難命令が出され、ずっとホテル生活が続いていると言う。

図で示した、赤い部分は火事、ほぼ中央、ブルーの輪で囲ってあるのが娘の住んでいる家だ。まるで火に囲まれているようだが、今のところ、彼女の家は無事のようだ。

 

十年ほど前に、サンフランシスコから三時間ほどいった山岳地帯に住んでいる義妹の家の周りも山火事が発生。家の直ぐそばまで火が燃え広がったので、延焼を避けるべく消防が来て、彼女の家に放水をした。そのおかげもあり、なんとか燃焼は避けられたものの、放水を受けた家の部分は水浸しになり、リフォームせざるを得なくなった。

私は、火事が収まった頃に当地に行った。多くの焼け焦げた木々に、いくつもの色とりどりの手作り看板が掲げてあり、「Thank You Firefighter」と書かれてあったのには目頭が熱くなったのを覚えている。

 

日本の小規模地震のように、カリフォルニアでは山火事は度々発生する。先日旅行で行ったときも、自然に恵まれたハイキングトレイルを行くと、必ずと言っていいほど火事で焼け焦げた木々がたっていた。

カリフォルニアではめったに雨が振らない。人々の頭に「雨」は存在しないようである。もう何年も前のことだが、娘の大学の卒業式に出向いた時もすべての式典や行事は野外で行われた。そして娘の結婚式も野外の素敵な会場で行われた。日本人としては、「当日に雨が降ったらどうするのだろう」と、心配するが現地ではそんな事を気にする人はいないようだ。 反対に、雨が降ったときには高速道路でのスリップ事故が多発するという。雨が降ったら運転に気をつけるという習慣はないようだ。

アルバート・ハモンドのヒット曲に “It Never Rains In Southern Califoenia” 「カリフォルニアの青い空」という歌がある。火事の煙が早くおさまり、あの透き通るような真蒼な空が、一日でも早く見られることを祈るばかりだ。

 


歩いて歩いて初詣

 

年のはじめ、まず元旦に我が家から歩いて三十分の鎌倉山神社に詣でる。朝の散歩でもよく来る神社だ。神社と言っても鳥居と祠(ほこら)の他にはなにもない小さな神社だ。もちろん社務所もなければ鈴もない。あるのは賽銭箱だけだ。普段は人気のないところだが元旦ともなれば多くの近所の人たちが参拝する。

そして、松の内に天気や体力と相談しながら藤沢市の鵠沼稲荷神社まで歩いて行く。ここは私が生まれ育った家、そして青春時代を過ごした実家のそばということもあり、昔から初詣に行っている。

現在住んでいる鎌倉山からは約六キロの距離だ。ここから歩いて行くのは今年で十五年、途中二回休んでいるので十三回目の初詣となった。

今年は気持ちよく晴れ、風もない1/5(日)に歩いた。約1時間20分で目的の鵠沼稲荷につく。毎年、長い行列に並んでの参拝となるが、なぜか今年は今までになく空いていた。去年は垂れ下がっていた鈴の紐もコロナの頃と同じように、とりはずされていた。大発生しているインフルエンザの影響か。おみくじは「末吉」、ケチして安い方のおみくじにしたのが悪かったのかーーー。

従来は詣でたら、復路は小田急鵠沼海岸駅から電車で一駅「片瀬江ノ島」まで行くのだが、今年は10キロウオークを試すことにした。神社をあとに、海岸に出て江の島に向けて歩く。キラキラ光る海は大勢のサーファーで賑わっている。芝生の広場には家族連れも多い。みな楽しそうにしている。江ノ島水族館の近くに魚のうまい店があるので寄ろうかと思ったものの万歩計ではまだ9キロ、もう少し歩かないと目的は達成できない。しかたなく、さらに歩く。洲鼻通りを江ノ電の江ノ島駅に向かった頃、やっと9.5キロを超えた。ここまでくれば、あとは通常に生活していれば10キロは行くという安易な心は、誘われるように、以前も来たことのある居酒屋「忠兵衛」に入り刺し身と生ビールで乾杯。ほろ酔い気分でモノレール「湘南江の島駅」へ、「湘南深沢」で下車したらバスの乗り継いで帰宅。万歩計は既に11キロを超えていた。目的達成。気分はさわやか。これは良い。今後も正月には10キロウオークとしよう。

 


今年の目標

 

昨年の目標は何だったのだろう。そんなことは、いつの間にか忘れてしまった。

さて今年はと言うと、翌年(2026年)へ向けての準備の年になりそうだ。

以下、私ごとばかりで申し訳ないが、200311月から始めた「Noppe Live」、この調子で行けば、来年には500回を数えるだろう。2020年から2年半の間はコロナで年間数回しかできなかったが、去年(2024年)は年間28回まで回復した。来年には多少大掛かりなライブもやってみたいものだ。

そして20205月から記録を取り始めたウオーキング、まもなく延べ8000キロになる。やっと娘の住むカリフォルニアに届く距離だ。そして来年には延べ1万キロに届くはずだ。東京起点に1万キロは調べたらマルセイユ(フランス)、シチリア島(イタリア)、オタワ(カナダ)、シカゴやカンザス・シティ(米国)というところらしい。行ってみたい所だらけだ。

さらに来年7月には80歳の大台に乗る。

ライブ500回、ウオーキング1万キロ、80歳とキリの良い数字が並ぶのが2026年だ。

このところ、忙しいとは言え、なんとなくダラダラとした生活だったが、良い目標に気がついた。

私は恥ずかしいほど単純な性格なので目標さえ決まれば、余計なことは考えず邁進するしかない。目標を達成するには、何と言っても体力とやる気が大事だ。

おかげさまで、いまのところ毎朝のウオーキングと筋トレのおかげで元気を維持している。

ということで、今年の目標は、「元気」と「やる気」の維持だ。

継続は力なり。今年の干支ではないが「竜頭尾」にならぬよう、今年も歩き続け、そして歌い続けるのだ。

 


カリフォルニア雑記④(終)

ヨセミテ国立公園

 

毎日、私が日記をつけるデスクの横の壁には、私の大好きな写真家アンセル・アダムスのカレンダーを毎年飾る。もう20年以上愛用している。彼が活躍したのが1920年代から1950年代ということもあり、すべてモノクロの写真だ。アメリカ西部、シェラネバダ山脈の中のヨセミテの自然を題材にした写真が多い。

今回、私のカリフォルニア旅行の大きな目的は、彼の作品のような「冬のヨセミテ国立公園」訪問だった。

日本の国立公園は綺麗な景色が素晴らしいが、アメリカの国立公園は、その膨大な景観と自然の荒々しさに魅了される。

ヨセミテは以前にも何度か訪れたことがあるが、その度に偉大な自然の景観に圧倒される。

直立した岩は、視界をはるかに超え、首を上の方に見上げないと、その全貌を眺めることはできないほどだ。とてつもない高い岩から流れ落ちる滝、川の流れ、一帯は人を拒まんとする崖が連なっている。

今回のヨセミテ滞在中は雪が降った。まさにアンセル・アダムスのモノクロの世界になった。写真を撮りまくる。どこを撮っても絵になる雪景色だ。

この公園の中には、アワニ・ホテルとワヲナ・ホテルという歴史的に有名なホテルがある。一泊数百ドルもすることもあり、私達は、もう少しリーズナブルに泊まったが、この二軒のホテルにも立ち寄った。ロビーには巨大な暖炉があり、その前にいかにも居心地の良さそうなソファーがいくつか置いてある。暖炉の火の暖かさと言うより、火に温められた巨大な暖炉の壁面からの輻射熱がロビー全体を温めている。

そんな居心地の良いソファーに身を委ね、いつの日かこのホテルで一週間ほど過ごしてみたいという夢を見ていると、孫のはしゃぐ声に現実に引き戻される。

いつの日か、また訪れよう。ヨセミテはカリフォルニアと言うより、アメリカの至宝だ。

 


カリフォルニア雑記③

爺のケチケチ旅行術

 

このところ、二週間のカリフォルニア旅行のことを、ずっと書いているが、今回は初めて往路はZIP AIRに乗った。この航空会社はあまり知られていないがJALの子会社だ。超安価な料金で東南アジアとアメリカ各地に飛んでいる。その倹約ぶりを以下に紹介する。

チェックインする荷物は最初の一個から有料。座席を指定すれば料金がかかる。映画などを楽しむスクリーンは無い。よってイヤホンも無い。座席に用意されている枕もブランケットも安っぽいスリッパも、なにも席には置いていない。席にあるのは緊急時の案内と俗称ゲロバッグだけだ。食事、飲み物のサービスも一切ない。この航空会社のコマーシャルは見たことがない。

つまり、荷物は機内に持ち込む手荷物だけにして、座席の指定もせず、お弁当を持ち込めば、超安値で旅行ができる。

ホームページ( https://www.zipair.net/ja/)によれば、東京―ロスアンゼルスの最安値は、なんと片道19,000円だった。これは季節や為替の影響を受けると思われるが、それにしても安価である。

もちろん、食事も飲み物も座席も事前にネットで予約すれば可能、フラットシートも、すべて有料で用意されている。

今回、私は大きな荷物をチェックインし、非常口そばの足が伸ばせる席を指定し、当日の朝に作った弁当を持ち込んだ。飲み物は出国手続きをしたあとに搭乗ゲート近くの店で購入。それで片道約5万円だった。

私は耳が悪いせいもありスクリーンはあまり見たことがないし、いままでの旅でも、搭乗すると座席に山のように置いてあるブランケット、枕、ヘッドフォン、スリッパなどは、いつも邪魔だと思っていたので、今回はとても快適、且つ安い旅行ができたと思っている。

復路は、航空会社提携のクレジットカードのポイントが溜まっていたので、それを使いプレミアムシートでタダだった。往復の旅費はZIP AIR の数万円ですんだことになる。

この年令になるとビジネスクラス、ファーストクラスで旅行する人が多いと聞く。私もいつの日か、フラットシートで旅行をしてみたいとは思うが、貧乏性のケチ爺は、未だにエコノミー。

まあ、その分呑み代がかさむので、チャラということになるのかも。


どこまでもまっすぐに伸びるアメリカンハイウエイ
どこまでもまっすぐに伸びるアメリカンハイウエイ

カリフォルニア雑記②

車事情

 

カリフォルニアでの生活は車なしには考えられない。若い頃は国際免許片手にレンタカーで動き回ったものだが、今回は忙しく、気がついたら地元警察で国際免許を申請しても間に合わず、かと言って即日発行の運転免許センターまで行くのも億劫ということで、当地での移動は娘に頼った。

アメリカでも町ゆく車を見るのが好きだ。乗用車ではホンダ、日産、トヨタ、そして韓国のKIAが多い。レクサスも多かった。驚いたのはEVテスラの多さだ。ほかのアメリ産の車は、気の毒なほど少ない。地球温暖化に対するカリフォルニア人特有の意識がEVに傾倒している、と娘は言っていた。その会社テスラのCEOイーロン・マスクは、「温暖化はでっち上げ」としたトランプの参謀になっている。どういうことなのか、売名行為としか考えられない。 

話を車に戻す。米国といえばハイウエイだ。片側4車線以上もあるハイウエイでもラッシュ時は渋滞する。そこで考えられたのがCarpoolという車線だ(写真)。この車線はハイウエイの追い越し車線の更に外側に、1車線だけある。この車線では二人以上乗っている車のみが走れる。当然のように、そこを走る車は少なく、この車線だけはいつも結構早いスピードで走ることができる。これは渋滞解消には良い制度だと思うものの、日本の場合はハイウエイ自体の幅が狭いので、Carpoolだけで1車線とるのは難しいだろう。広いアメリカならではの知恵かも知れない。

日本には車検制度があるがアメリカにはない。自分の車の整備は自分の判断でやる。そのせいか、クラシックカーを趣味にする人も多い。日本では13年以上乗ると税金も高くなるという不思議な制度があるので一部の富裕層しかクラシックカーを維持するのは難しい。

そして何とも羨ましいのは、カリフォルニアの乾燥である。ガレージに入れておけば車の金属部分は錆びないのだ。これだけでもクラシックカーオーナーの日米の手間の差は大きい。

 

さあ、来年1月以後トランプ指揮下でアメリカの自動車産業、石油などの化石燃料はどう変わるのか。アメリカという自動車はどこに向かって進んで行くのか、とても心配である。

 

 

 

 

蛇足:町を走る妙な自動車(写真)。最近発売されたテスラのトラックだ。これをグッド・デザインとするか、醜い車とするか。あなたはどう思いますか?


日本風に言えば「貝の蒸籠蒸し」山のようなムール貝とハマグリ、そしてロブスター、旨かった。けど高かった!
日本風に言えば「貝の蒸籠蒸し」山のようなムール貝とハマグリ、そしてロブスター、旨かった。けど高かった!

カリフォルニア雑記①

食事編

 

2週間ほど、娘と孫の顔を見にカリフォルニアに行ってきた。何度も行ったことのあるところだが、今回もいろいろな事を体験し、見て、食べて、飲んで、びっくりして楽しい旅だった。

まず、驚いたのはレストランの値段の高さ。円安の性もあるが、二人でちょっと一杯とツマミを食べれば、すぐに100ドルは超える。そして更に驚くのはチップの値上がりだ。アメリカでは州により平均のチップが随分違うらしいが、カリフォルニアは料理の値段に税金が足され、その合計金額の18%が平均のチップになる。

右の写真は私の希望で、生牡蠣や魚料理が旨い店に、娘夫妻と8歳の孫の計4人で行ったレストランのレシートである。金額が$243.10、税金が$24.92で合計が$268.02とある。その下にあるのがチップの割合の計算。18%、20%、22%の場合に各々いくらになるか、書いてある。余計なお世話だが、客は、この中から自分で選んでその金額を計算書に書いて、さらに全合計金額を自分で記入して支払う。この店、とても美味かったが、ケチな私は一番安い18%を選んだ。この場合だと$243.10の代金に対し支払った合計は$311.78

1ドル150円換算として約36,500円の飯に支払った合計額は46,000円にもなる。

さらに苦手なのは、日本のように食べ終わったら、「さあ行こうか」、とレジで精算するわけにはいかない。じっとテーブルで待っていると勘定書が来る、そしてそれに上記のチップを自分で計算して書き込んで支払う、そしてお釣りやクレジットカードを返してくれるまでじっと待つのだ。気の短い日本人は耐えられないことだろう。

そして、これは以前から思うことだが、アメリカのレストランの食事の量はベラボーに多い。アメリカ人でも食べ切れる量ではない。仕方なく持ち帰り用の箱をもらい、それに取り分けて持って帰る。店側は残飯が少なくなるので良いだろうが、私は、冷えて固くなった料理は食べる気がしない。アメリカにデブの味盲が多いのも、うなずける。

悪口ばかり書いてきたが、それでもアメリカには旨いものは沢山ある。今回サンクスギビングデーということでご馳走になったターキーや、沢山たべた生牡蠣などはアメリカにいかないと旨いものは食べられない。

また、けなす人は多いが、私はアメリカで喰う鮨も捨てたものではないと思う。(メチャ高いけどね)

 

大好物の生牡蠣については次回の「呑兵衛雑記」で触れることにしよう。


          料理用暖炉と筆者
          料理用暖炉と筆者

熾火(おきび)料理初体験

 

北軽井沢スイートグラスという宿泊施設に行った。ここは広大な土地にコテッジ、キャビン、テントなど各種の宿泊施設があり、アウトドア派にはとても魅力的な施設だ。ここにある料理用暖炉のあるコテージに泊まる。一昨年に続き2回めの訪問だ。前回は初めてなので要領を得ず、いい加減な料理だったが、今回は熾火でステーキを焼くのが大きな目的だ。

熾火を作るのは炭でも薪でも良いのだが、今回は全て薪で作ることに。この施設では一棟ごとに大量の薪が無料で使い放題である。

まず太い薪から、アウトドア派に好評のモーラナイフで焚付(たきつけ)を作る。余談だが、このスエーデン産のモーラナイフ(Morakniv)、小さいナイフだが薪割りにも調理にも使え、しかも安価、便利なナイフだ。

紙の上に、出来たばかりの焚付を置き、その上に徐々に薪を乗せて着火。ここまでは、我が家でもよくやるので、問題ない。

さあ、初めての熾火焼きに挑戦だ。

大きな調理用暖炉はレンガで囲まれ、その壁面も天井も暖炉内全体の温度を上げるために、薪を燃やすこと約二時間。大量の熾火ができた。

薪を燃やす台を暖炉の奥まで押し込み、その下に溜まった熾火の上に料理用の網がついた台を乗せる。

熾火は、言ってみれば薪の燃えカスみたいなものだ。ほんとうに、これでステーキやポテトなどがうまく焼けるものか半信半疑だった。

同行の仲間の手前上、失敗するわけにはいかない。

鎌倉の河野牛豚肉店で買ってきた、最上のヒレステーキを4枚、焼き始める。煙もたたない。これで良いのだろうか。心配しながら、少し焼面を見てみると、なんとも美味しそうに焼けているではないか。すぐにひっくり返して数分で焼き上がり。すぐに包丁で切ってみる、分厚いステーキの断面もみごとにピンク色、ミディアムというところだろうか。ポテトも椎茸もとても美味しそう焼けた。

熾火料理は、いわゆる遠赤外線で焼くことになる。その熱量にはびっくり。

旨いステーキと極上のワインに大満足。一息つき、ふと夜空を見上げればキラキラとオリオン座が輝いていた。

 

この施設には本格的なピザ窯がある棟や、野外BBQの設備も完備している。また、愛犬と一緒にとまれる施設なども整っている。我が家からは少し遠いが、また訪れてみたい施設である。

 

<施設情報>

北軽井沢スイートグラス

https://sweetgrass.jp

 


鎌倉石

 

開発が進む鎌倉山、猫の額のような狭い土地もあると思えば、山を切り開き、鉄筋コンクリートの巨大な住宅の建築もいくつか見られる。これら最近の家の特徴は「庭」がほとんどないことと、表門がなくガレージが門代わりになっている家が多い。

一方、この辺の昔からある大邸宅には、おおきな庭と立派な門がある家が多い。いくつもの堂々たる門構えを見ながら散歩するのも楽しいものだ。

門柱代わりに巨大な石を使っている門もあれば、時代劇に出てくるような長屋門もある。沼津の御用邸の表門と良く似ている大きな鉄の門扉もある。それらの中で、私のお気に入りは、古めかしい「鎌倉石」の門である。

鎌倉時代から昭和初期までは、鎌倉や逗子など多くのところで採掘されていたという鎌倉石、我が家の近くの広町緑地にも石切場跡が残っている。

今は採掘されなくなった鎌倉石は、やわらかく細工しやすい石なので、昔は神社仏閣の階段や塀、建物の土台としても多く利用されたという。採掘岩場には防空壕のあとも見られる。

この鎌倉石を積み重ねて作られた古い門柱は、今でも所々に残っている。長い間の雨風にさらされ、角がなくなり、なんとも優しいゆったりした良い味わいを見せている。旧帝国ホテルの建築に使われた大谷石同様、いつの日か、鎌倉石の門柱もだんだんと少なくなっていくのだと思うと、とても惜しい気がする。

この石は多孔性なので吸音効果も良さそうだ。スタジオの壁面に使ったら良いだろうな。この石で暖炉を作ったら素敵だろうな、などと叶わぬ夢を見てはため息をもらす私なのであります。

現存する鎌倉石のごとく、私も徐々に経年変化で角が丸くなるといいのだが。

 


無事に工事は終了。新しいトイレ・シャワーだ
無事に工事は終了。新しいトイレ・シャワーだ

DIYトイレ編

 

木造住宅の法定耐用年数は22年だ。どうりで、築30年の我が家は、各所に支障が出始めている。つい先日も一部外回りのサイディングやサッシなどを取り替える工事が入ったばかりだ。

そして、ある日TOTOウオッシュレットが壊れた。毎日を清潔にすごすには、欠かせないものだ。なんとか自分で修理できないものかと色々検討したが、これは素人の手にはおえないような気がする。

以前聞いた話では、ウオッシュレットの修理・交換には法外な金がかかるらしい。年金暮らしの小生として、極力出費は抑えたい。

ネットで、いろいろと探ってみた結果、意外なことに規格化されていて、どうやらTOTOの便器本体に、違うメーカーのものでも対応できるらしい。

そう言えば、近くのホームセンターに馬蹄形のトイレ・シャワーがいくつも置いてあるのを思い出した。さっそく出かけて、いろいろ見てみる。TOTO以外にもいろいろなメーカーのものが並んで知る。知らないメーカーは避けて、比較的安価なINAXの製品を購入、22,800円(税別)也。値札のすぐ横に「取付費8,000円」と記されていたが、とりあえずは、自分でやってみようと思い、工事依頼はしなかった。

帰宅して、まず故障した現在のウオッシュレットを外すことに。 

壊れたウオッシュレットを取り外した
壊れたウオッシュレットを取り外した

水道の元栓を閉め、リモート機器など電気関連のコードをはずし、やってみたら、あっけなく全て外すことができた。

この時とばかりに、汚い便器の裏側や、普段手の届かないところもお掃除。ピカピカにきれいになった所で、新しいものを設置してみることに。水道の給水管工事に多少手間取ったが、やってみれば、あっけないほど簡単に工事は約1時間半ぐらいで終了。

グレードは落としたので、リモートでは無くなった。以前と比べると多少水圧がおちるような気がしないでもないが、それほど気になることもない。以後、毎日(私の場合は、毎朝)快適に、清潔に過ごしている。

考えれば、給湯器、洗濯機なども30年になる。これからもいろいろと支障が出てくるだろう。

 

一方、私の耐用年数も迫っているが、これだけは他のメーカーに替えるわけにはいかない。


バス路線が消えた

 

歩いても汗みどろにならず、気持ちのいい朝、いよいよ散歩の季節到来だ。毎朝歩いて気がつけば、この何年か鎌倉山一帯は開発が進み、何百坪もある大邸宅がいくつもに分割されて売り出されているのが多くなった。「湘南」、「鎌倉」などのブランドに引き寄せられ、猫の額のような土地にどんどん家が立つ。近い将来、人口も増えるのだろう。

それに反比例するようにバスの本数はどんどん減り、101からは、ここ鎌倉山から鎌倉駅行、大船駅行のバスも一時間以上来ない時間もあるようだ。そして江の島行のバスは、とうとう時刻表から姿を消した。

小田急江の島駅のそばにいる友人の家や、好きなラーメン屋、海の見える蕎麦屋、江の島散策など、このバスを使っていたが、今後は歩いて山を降り、西鎌倉からモノレールで江の島下車、混雑する洲鼻通り、さらに長い桟橋をわたり、20分以上歩かないと江の島にはたどり着けなくなる。

山の人口は増えるのに、ただひとつの公共交通機関のバスが減ってゆく。車に頼らざるを得なくなるものの、高齢者には免許を返上しろと促す。

若者は車があれば日常生活はそれで足りる。私のような呑兵衛爺は、まさか運転して飲みには行けず、かと言って山を降りなければ飲み屋はない。大船、鎌倉あたりの好きな店に行くのもままならなくなる。

問題は帰路だ。夜が更けてくると、バスの本数はなおさら減ってくる。タクシーも大船駅はまだマシだが、鎌倉駅のタクシーは随分減ってきた。仕方なく、ケチな酔っ払い爺は延々とバス停で待つことになる。

バスもタクシーも運転手不足と聞くが、今後、私のような高齢者は座敷牢たる拙宅でチビチビ飲みながら、おとなしくしているのが良さそうである。

 


沼津 牛臥浜にて。 ここでプカプカ漂い至福の時を持った
沼津 牛臥浜にて。 ここでプカプカ漂い至福の時を持った

私の至福のとき <夏編>

 

暦の上では秋と言い、まだまだ熱暑の日が続くが、そんな日々にあっても「あ〜幸せ」と感じる「私の至福のとき」三種である。

その①

まずは毎朝の散歩だ。早朝とは言え、歩き出して十五分もすると汗が噴き出してくる。小さなタオルで汗を拭き拭き約一時間も歩くと頭から滴り落ちる汗は目に染み、着ているTシャツはビショビショになる。帰宅するなり熱いシャワーを浴びる。ここからが至福の時間の到来となる。

体を洗い終わったら、シャワーは出したまま、給湯器のスイッチを切るのだ。シャワーから出てくる温水は徐々にぬるくなり最後は滝のような冷水が肌を刺す。しばしの間、この温度変化に身を任せ、最後の冷水シャワーを頭からかぶり、じっと耐える。身が締まる思いがする時、何故か「幸せ」を感じるのである。

その②

次の私の至福は、波が殆ど無い静かな湾や入江で両手両足を広げ、ただただ仰向けにプカーツと浮いているときだ。なんとも幸せを感じるのだ。そのままでも息はできるし、耳のあたりをさざ波がくすぐる。目をあければ夏の陽射しが眩しい。近くでポチャっと魚が跳ね、びっくりする。遥か遠くには子どものはしゃぎ声も聞こえる

静かな海、湘南では葉山の一色海岸あたりが良い。先日行った沼津の牛臥浜も良かったが、漂っていたら潮の流れに乗って、気がつけば随分西の方に流されていた。潮の流れには要注意だ。

その③

そして最後は、日没の空を見ながらウッドデッキでの晩酌である。夕方になれば、この季節、ほぼ毎日のように枝豆を固めに茹で、ビールを片手に、二階デッキの一番高いところに腰を据える。夕陽に照らされながら、刻々と変わる雲の様相に見入る。心地よい海風に乗り、江の島から飛んできたコーモリが、パタパタとぎこちなく下手な飛び方をしている。徐々に富士山がシルエットとなり、振り向けば白く輝く月も見えてきた。一番星もチラチラ輝き始める。正確に十秒ごとに光を放つのは江の島灯台。

ただただ、ボーっとすごすひととき。こう言うのを「無為」というのだろうか。まさに「私の至福のとき」、そして「大切なとき」でもある。


弁当を食いながら

幻想「恐怖のウオーキング」

 

久々に木工仲間三人で日影茶屋の弁当ランチとなった。(写真)

そこで兄が開口一番「お前は、頭以外は丈夫でいいな」と、本人は冗談で言ったつもりだろうが、まさに、私の問題は、そこにある。

ボケ防止も兼ねて、毎日日記を万年筆で、縦書きしているものの、初歩的な漢字が出てこない。その頻度が増している。仕方なく、机上には、いつも電子辞書をおいてある。

親しい友のニックネームはすぐ出るものの、苗字が思い出せない。店の名前、土地の名前、花や木の名前も、すぐには出てこないことが多い。

夫婦なら「あれこれそれ」で済むのだろうが、たまに会う人とはそうは行かず、会話が滞る。

近眼乱視老眼でメガネの世話になっている。耳も遠いので補聴器も使っているが、頭の悪いのを補助してくれる器具はない。

それらを除けば、血圧は高いが、兄が言うように健康体である。歯も丈夫だ。これは毎朝約1時間のウオーキングと、毎日2合以上飲む牛乳のおかげと、勝手に思っている。

偉ぶっていても、早朝に眠い目をこすり、ウオーキングをサボってしまいたくなるものだ。特に冬の寒い朝、まだ星が輝く空を見ていると、ぬくぬくする布団に潜ってしまいたくなる。しかし、ウオーキングに出ないことが恐怖心につながる。

もし、やめてしまったら、酒飲みの私はブクブクと太り始め、血圧は上昇の一途をたどり、ボケは旧速度で進行し、徘徊した結果、行方不明者として登録されるのがおちだ。

まあ、恐怖におののきながらでも、歩き続け、のどが渇けば牛乳を飲んでいれば丈夫でいられそうだ。

 

と、弁当を頬張りながら、兄の一言に、つまらぬことを思っていた。

話を最初に戻す。そんな木工仲間とのランチはいつも話題の幅が広い。やれアメリカ大統領はーー、自民党総裁はーー、車、オーディオ、新札はイカサネーなーー、孫の話、メシの話と、尽きるることはない。

年寄りの集まりにありがちな、愚痴や昔の自慢話がでないのが最高の仲間である。

 


           鎌倉山神社
           鎌倉山神社

お百度参り

 

毎朝の散歩が日課となっている。

ここ、鎌倉山は、交通量も少なく、緑が多く、景色もいいので、いろいろなコースを歩く。最近、多くなっているのが自称「鎌倉山神社コース」、往復約3.5Kmのコースだ。

どうせならと、2月から神社に詣でる回数を数えだした。 そして、約半年かけて8月19日に百度参りを達成。

自分ながら、馬鹿なことをやっているとは思うのだが、生涯一度ぐらい百度参りもいいだろう。

 

我が家が海抜約80m、神社が100m、と言うこともあり、自宅から神社までは、ノロノロと上り坂が続く。約30分で到着。今の季節だと、このわずかの高低差で大量の汗が吹き出る。神社の入口にたどり着き、汗を拭き拭き、古ぼけた石段を数段登る。そこに小ぶりな、石の鳥居がある。

この小ぶりの鳥居の高さが実に良い。背の高い人なら頭がぶつかってしまいそうな高さ故、自然と頭を下げることになる。

12段の石段を登りつめた所に小さな石の祠(ほこら)がある。幾許(いくばく)かの小銭を、小さな賽銭箱に投げ入れたら、二拝二拍手一拝となる。

特に、これと言ったことをお願いすることはなく、家族兄弟などの健康を祈るぐらいである。この百度参りのせいとは言い切れないが、いまのところ皆元気で暮らしている。

帰りも鳥居の所で振り返り、お辞儀をして帰路につく。単純な性格の私は、これだけでなんとなく心爽やかな気分になるものだ。

                                    <240825>


原チャリが消える

 

原チャリ、正しくは原動機付自転車のことだ。

私の愛車、ホンダスーパーカブが生産を終了する、というニュースにびっくりした。すでに2017年には世界での累計生産台数は1億台を超え、世界一の生産台数を誇っている名車だ。ホンダと並び、俗に言う「原チャリ」の大手スズキも同じような発表をしている。

202511月から始まる新たな排ガス規制の適用対象となり、技術や費用の面から今後は新たな生産、販売は困難になったとのことだ。

軽自動車と並び。日本の乗り物文化の一端を担ってきた原チャリが消える。

スーパーカブを代表とする原チャリは、どんな田舎でも大都会でも、日本中の郵便配達、出前、新聞配達などを担って毎日走り回っている。大げさに言えば日本の流通文化が変わる。

 

私が現在乗っているスーパーカブ(写真)は2代目だ。1代目は、13年間乗った。2代目に乗りかえて約3年になる。現役の頃は毎朝最寄りの駅まで乗っていった。寒い日には手袋をしてもアクセルを握る手が凍りついた。暑い日はヘルメットをかぶる頭部だけびっしょりと汗をかいた。

俗にリッター100キロ、と言われているが、それほどではないにしろ、ガソリンをいつ入れたか忘れるぐらい経済的だ。車と違って、駐車場に苦労することはほとんどない。こんな便利な交通手段は他にない。

今後、総排気量50cc以下の原付きバイクの生産、販売が困難になることを受け、警察庁は125cc以下のバイクでも最高出力を現在の原付きバイク程度に抑えられたものであれば、原付き免許で乗れるようにする方針を固めた。ということは、本来の持っている能力を、わざわざ落としたバイクの出現となる。さあ、これからメーカーはどのようなものを作っていくのだろう。それも楽しみだが、とりあえずは思い出つまった現在の愛車「スーパーカブ」をできるだけ長く乗ってやろう。

さあ、私と愛車と、どちらが先にくたばるか、頑張りごっこだ。

 


「小綬鶏」

 

鎌倉山には沢山の野鳥がいる。カラスや雀、鳩はどうでもいいが、最近増えてきたのがガビチョウだ。原産は中国のせいか、目の辺りには京劇独特の化粧のような模様がある。雀より少し大きく、大きな声で、スットンキョウないろいろな鳴き方をする。

春に鳴き始めた鶯(うぐいす)は此の時期になっても、まだ鳴いている。豪快に空を舞うのはトンビだ。森の中からはキツツキが超高速で木を叩く音が聞こえる

女夫池では矢のように飛んでゆくカラフルなカワセミも見かける。ゴイサギや白サギも水辺にいることが多い。

しかし、何と言っても鎌倉山を代表する野鳥は、写真の「小綬鶏(コジュケイ)」だ。「小綬鶏の会」という地元の社会福祉団体があるくらいだ。大きさは鳩より少し大きいぐらいだ。キジの一種らしい。

私は、雨がふらない限り毎朝散歩をするが、80%ぐらいの確率でお目にかかるのが小綬鶏だ。家族連れなのか、大概は複数で行動している。ヤブの中から出てきて、散歩道をチョコチョコ歩き、また反対側の藪の中に消えてゆく。一度藪の中に入ってしまったら、その迷彩服のような姿は、どこにいるのかわからなくなる。

「チョットコ〜イ」と、大きく響く呼び声がすれど、どこに行けば良いのか、その姿は見えない。

思い出せないが、以前読んだ小説に、小綬鶏はトロイので、すぐに捕まるから、鍋にして喰うと旨い、と書いてあった。しかし、それほどトロクはない。けこう俊敏に動いている。飛ぶのを見たことはあまりない。

毎朝、汗だくになって歩く道すがら、小綬鶏がチョコチョコ歩く愛らしい姿に出会うと、なぜか心和むのです。


今日も熱くなりそうだ。7/23午前4:50
今日も熱くなりそうだ。7/23午前4:50

酷暑

 

鎌倉山付近の地元の話で恐縮だが、女夫池(めおといけ)から坂を登ると鎌倉山集会所の角にでる。このダラダラと長く続く坂を歩くのは、それなりに厳しいが、敢えて足の筋肉にストレスをかけるべく、ときどき歩いてみる。

坂を途中までのぼり、集会所の屋根がみえてくると「もう少しだ、頑張ろう」と思う。

ところが、最近は生い茂る雑草のために、近くまで行かないと、この屋根が見えなくなってしまった。これほど茂ることはいままでなかった。

酷暑のために、手入れが間に合わず、我が家の庭は荒れ放題だ。ヤブカラシ、カラスウリなどのツタが庭木を覆い隠さんばかりである。自分がサボっているせいもあるが、これほどの荒れ方は今までなかった。

雑草、笹、蔓草を含め、この夏は例年になく生い茂っているように感じる。これも温暖化の影響だろう。

早朝、日の出とともに虫やセミが一斉に泣き出す。三月に行ったカンボジアの朝と同じだ。36度にもなるアンコールワット遺跡を一日中歩いたことを思い出す。

つい数年前までは、「線上降水帯」とか「熱中症警戒アラート」などという言葉はなかった。スコールや竜巻は外国の話だった。

この暑さのさなか、水風呂に入りたくバスタブに水をため、汗びっしょりのまま、水風呂に浸る。ヒヤッとして気持ちが良いものの、温度計で計ったら25度もあった。水道の水さえ生ぬるくなっている。

 

たしか小学校の社会科の授業では、日本は温帯に属し、四季の移り変わりがある、と教わったが、いまや熱帯に組み入れられているかのようだ。

すべてのものは熱すれば膨張する。オゾン層は破壊され、熱くなった地球は膨張し、膨らみきった風船のように、いつの日か破裂してしまうのではないかとさえ思ってしまう今日このごろである

 


ちょっと嬉しい落書き

 

朝の散歩コースは、特に決めてないが、鎌倉山神社という小さな祠(ほこら)までの往復3.5キロのコースを行くことが多い。この神社については改めて書こうと思うが、先日ここに行き、鳥居の手前でお参りをするべく頭を下げた時、道路にチョークで書いた、写真のような落書きが目に止まった。

白いチョークで道路に沿った矢印に「TRAIL」(順路)、黄色のチョークで鳥居に向かって「PRAY」(お祈り)とある。

普通の矢印だけが道路ぎわや、電柱などに書かれているのは、ときどき見かける。多分ウオーキングの愛好者グループが、この矢印に沿って進む大会でもあるのだろう。私が見たのは早朝なので、きっと前日に行われたイベントのものだろう。

わざわざ「PRAY」と、鳥居に向かった矢印が書かれているのを見て、なんとなく嬉しくなった。

 

昭和の昔、町の小さな玩具屋で蝋石(ろうせき)という、道路に落書きができる不思議な石を売っていた。1センチ角、10センチぐらいの長さの石だったように覚えている。舗装された道路に、これでいたずら書きをする。道路上に四角や丸を書き、それにそって飛び跳ねながら進むような遊びもした。「あいあい傘」の両側に好きな女の子と自分の名前など書いて心ウキウキしてたこともある。車も人も交通量が少なかった時代の子どもの遊びだった。

久しぶりに見た道路の落書きに、そんな小さな頃の遊びを思い出した。

 

改めて頭をさげて鳥居をくぐり、33段の階段をのぼり、祠に向かって柏手を打ちながら、なぜか心楽しくなった朝の散歩だった。


挨拶は、日本の文化

 

外出するときは「いってきま〜す」、帰宅したら「ただいま〜」、ご飯を食べるときは「いただきま〜す」、食べ終わったら「ごちそうさま」、寝るときは「おやすみ」、起きたら「おはよう」、というのが昔は当たり前だった。家族や他人にかぎらず「挨拶」は常識だった。他の国にはない日本の文化だった。

どうも最近は、その様な常識が通じないことが多いような気がする。

毎朝の散歩でも「おはよう」と挨拶を交わす人も多いが、中には全く無視されることも多い。とくに偉そうにしている男性はダメなのが多い。リタイアしても、まだ会社の上役のつもりでいるのだろうか。

そういえば、私が現役の頃にも挨拶をしない若者が何人もいた。観察していると、彼らは仲間とパソコンを通じて会話をしているようだ。隣の席にいる仕事仲間に「今日のランチ、どこに行く?」などと、メールを送っている。

冒頭の「いってきま〜す」や「ただいま〜」を言わなくなってきたのは、もしかしたら家庭環境や住宅環境の変化が原因かもしれない。昔は居間や茶の間には、必ず誰か家族がいたものだ。だから大きな声で挨拶すれば、「いってらっしゃ〜い」、「おかえり〜」などと返事もあった。建築様式も変わり、遮音性もよくなり核家族化が進むのに伴い、家族間の挨拶が減ってきたのだろうか。

また、昔と違い共稼ぎ夫婦も増えて、家族揃って食事をする機会も減っているせいで「いただきま〜す」も「ごちそうさま」もなくなってきたのかもしれない。

最近は見知らぬ人に挨拶をしてはいけないと、子供に教えているということも聞いた。

時代も変われば、世の中も変わり、挨拶を交わすことが少なくなったことが、なんとなく滅びゆく日本の文化という気がするのだが、如何だろうか。

 


炎天下のアンコールワット、孫と一緒に11キロも歩いた
炎天下のアンコールワット、孫と一緒に11キロも歩いた

歩いて、歩いて、記録して

 

雨がふらない限り、毎朝約1時間のウオーキングについては何度か触れた。いろいろな道を行く。坂や階段もある。森の中を歩いたり、少し距離をのばして海まで歩くこともある。

そんなウオーキングのデータを記録し始めたのが2020年5月のことだ。データ項目は7項目になる。1日の歩数、距離、月々の合計歩数、合計距離、月の平均歩幅、月間の一日平均歩数、そして累計距離である。

あれから4年1ヶ月、累計で7000キロを超えた。この距離は、日本からニューカレドニアまでの距離を超えている。以前、当地に友人を訪ねて行ったことを思い出す。

年内に7700キロを目指している。77歳の年の内に、と言うくだらないゴロあわせだ。あと半年である。

いままで一日の距離の最長記録は2022年の7月の真鶴半島一周13.6キロである。真鶴半島は好きなので何度も行ったことがある。深い森の緑の中を散策するのが好きだ。いつもは車で行くが、その時は、電車で真鶴駅まで行き、歩き始めた。夏、真っ盛りの熱暑の日に何故そんなことをしたのか、それはギンギンに冷えた生ビールを呑みたいから。歩き終わり駅そばの寿司屋で飲んだビールの味は格別だった。

2番目に長い距離は今年3月のカンボジア、アンコールワット遺跡を歩きまわった11.3キロだ。(写真)気温35度をこえる中を、同行した大学生の孫と一緒に、汗を拭き拭き歩いたものだ。

このように、いろいろなデータを記録していると、その数字の中に、いろいろな思い出がよみがえる。また、ほんの少しであるが歩幅も広くなっているようだ。しかし、いくら歩いても体重だけは変わらない。現在69kg、せいぜい身長から100は引いてみたいのだがーー。


沼津海水浴場にて次女と孫
沼津海水浴場にて次女と孫

年甲斐もなく

三島・沼津探訪記

 

娘たちと孫(7才)と、23日の小さな旅。年並に呑み、年甲斐もなく行動した。

初日は、話題の「三島スカイウオーク」へ。はるか下の谷底を流れ落ちる水音が響き、眼前には巨大な富士がそびえる。

長さ400mの吊り橋を渡った先では「フォレスト・アドベンチャー」なる天空のスリリングな冒険に挑戦。孫はスタスタと進む、私はノロノロと進む。

 

アドベンチャーフォレスト、天空高く孫はスイスイ進む
アドベンチャーフォレスト、天空高く孫はスイスイ進む

その後に、「ロングジップ・スライド」というワイヤーの滑車にぶらさがったロープにつかまり、滑り降りる。往路は300m、帰路は250m。見ている方がヒヤヒヤするものの、滑り降りるのは、あっという間。怖さを感じる間もない。

二日目は雨。外の観光はやめて、水族館へ。観光地の水族館ということで、まったく期待はしていなかったが、深海魚に特化した展示は実に充実している。そして圧巻なのは、マイナス20度にガラスケースに収められているシーラカンス2尾の巨大な冷凍保存である。

 

300mをワイヤーにぶら下がり一気に滑り降りる長女と私
300mをワイヤーにぶら下がり一気に滑り降りる長女と私

一時は絶滅したと言われていた古代魚シーラカンス。冷凍で見られるのは、世界中でここだけとのこと。

三日目は天気も回復し、沼津の海水浴場で、年甲斐もなく、今年の初泳ぎ。孫は、はしゃぎ周り、私は静かに泳ぐ。水はきれいに澄み渡り、空には明るい太陽が燦々と照り輝いている。だれもいないビーチ、私は一人ウトウトとーー。

午後は、柿田川公園で孫は水辺であそび、私は杖をつきながら散策。

三日間、よく遊び、うなぎ、寿司、浜焼きを食べ、沢山呑み、温泉にもつかった。

70歳の年の差もなんとか乗り越えた夏休み。また来年も楽しみだ。

 

 

※「呑兵衛雑記」に関連記事あり。


猿島探訪

 

毎年、アメリカに住んでいる娘の家族が、夏休みを利用して我が家に約1ヶ月間逗留する。その間に小学生の孫は日本の学校に通ったり、家族でディズニーランドやショッピングに、そしてもちろん美味しい日本の食事を堪能し、忙しい日々を楽しんでいる。

そして、毎年恒例なのが、私の娘二人とその子ども達三人、兄貴の娘三人とその子どもたち四人、計14人の俗称「従姉妹会」である。

去年までは、1・2泊で小旅行に言っていたが、子どもたちも大きくなり、なかなかスケジュールの一致が難しく、今年は日帰りということで横須賀の猿島に決まり、私もゲスト参加した。都合がつかない者もいて12名の日帰りツアーだ。

港から船に乗り約10分。私は、高校生の頃に行ったことがあるが、以来約60年ぶりの猿島はきれいに整備され、多くの道は舗装も施されていた。

今回は、60分のガイド付きツアーに参加。戦争遺産を中心に要塞や砲台跡、展望台などで立ち止まっては、説明を受ける。兵隊の居住区や弾薬庫の中にも入ることが出来た。それにしても戦争という異常な状況下において、兵隊たちが人力のみで建設したレンガ造りの建物群には圧倒される。若い人たちは、これらを「レトロ」と感じるのだろうか、デートで来ているカップルも多かった。

港に戻り、近くのマーケットに行く。中にはいれば、野菜や鮮魚など地元の物産のほか飲食店も多く、それらが実に充実している。そこいら辺の「道の駅」顔負けだ。私はランチに生牡蠣3個、生ビール(椎茸エールという、珍しい生ビール。美味なり)、しらすのピザなど食べる。観光地とは言いながら、どれもなかなか充実した味だ。

皆で、そばの温泉に移動、海を見ながら心地よい風に吹かれての温泉に大満足。

更に、晩は鎌倉の名店、お好み焼き「津久井」に集合。兄貴も加わり14名の大宴会となった次第である。

 


今、まさにBBQシーズン

 

どうも、私は続柄の呼び方について分からないことが多い。妻の妹は義妹、その子供は姪、そして姪の子供はなんというのかわからない。調べてみたら姪孫(てっそん)と言うらしい。

前置きはこのくらいにして、先日、ハワイはマウイ島に住んでいる姪と姪孫、そしてアメリはカリフォルニアに住む次女の家族(夫と孫7才)、そして日本にいる次女の夫のお母さんが我が家に来て、久々の親族会ならぬファミリー・バーベキュ大会となった。

そう、今や、まさにBBQシーズン真っ盛りである。

私は、冬や雨の日は屋内でも炭火を使う。区別するために屋内は「炭火焼」、屋外は「BBQ」。

普段から、炭火を使うことには慣れている。一人メシでも炭火を使う。サンマ一尾、ステーキ一枚でも炭火で焼けば、ワンクラス上等の味になる。

慣れていない人は炭を起こすのにウチワで仰いだり、フイゴ状の道具を使ったりするが、着火剤を少し多めに使い、30分ぐらいほって置けば自然に起きてくれる。「ゆっくりあせらず」がコツだ。炭が起きるまで、チビチビやっていれば良い。

今回焼いたのは、大量の手羽中、とうもろこし、ベビーコーン、椎茸、サーモン。 ポテトと玉ねぎはアルミフォルに丸ごと包んで直接炭火の中に入れておけば良い。

シメは、長女の握る恒例の炭焼きむすびだ。飲み物は、女性が多いせいか、なにやら不思議なカクテル風の缶やペットボトルが、スッポンスッポンと空いてゆく。私は、相変わらずのビールとワイン。

一段落したら、孫と姪孫を中心に花火大会。アメリカ人は線香花火をふりまわす。日本のようにじっくり眺め、さいごに膨らんでポツンと落ちる火の玉を楽しむようなことはない。そして高校生の孫は今風なダンスを披露。マイケル・ジャクソンのような、関節にヒビが入りそうな曲芸の様なダンスだ。ダンスにも風情がなくなったと思うのは老いのせいか。

ほろ酔い気分で焚き火をかこみ、なにやら分からぬ英語が飛び交う話を耳に、徐々にまぶたは落ち、きがつけば楽しい宵は夢の中。

みんなでBBQ、バンザイである。


坂・階段・山暮らし

 

鎌倉山、「山」だから当たり前だが、坂や階段が多い。多くの家は門を入り、玄関までは階段を上り下りする。拙宅も車をおりたら、くたびれた木の階段を上がって玄関となる。

さらに、車では門前まで行くことが出来ない家も多い。郵便配達や宅配便も、この坂や階段の多い地域を担当する人は大変だ。車両を、道路に一時停車して、荷物や封筒を持って、階段や坂を上り下りする。

鎌倉山ロータリーからM先輩の家の表玄関にたどり着くには、二通りの坂道がある。私は勝手に「男坂」「女坂」と言っているが、「男坂」の距離は短いが、急な、しかも不規則に組まれた、歩きにくい階段を登らねばならない。

「女坂」は緩やかな坂道だ。しかも途中にはM邸裏門があるので、ズルをして、無断で庭を通過して表玄関に行くことも出来る。

まあ、このような土地に住んでいるので仕方がないことだが、何処にいくにも坂や階段はさけられない。

私の兄は4丁目、私は3丁目、少ししか離れていない。お互いの家は谷を挟んで臨むことさえ出来る。しかし、兄の家まで歩いて行くとなると、俗称「けもの道」という約200段の階段を下って、また登ってと、その距離に比べて運動量は多く、最近はしんどくなってきた。

疲れているときや、兄の家で酒を飲んだときなど、この「けもの道」の魔の階段を避けるべく、ひとつ先のバス亭まで遠回りして帰ることすらある。

前記したように、兄の家は4丁目、私は3丁目、兄の名前は一平、私は二平、1234とややこしいこともあり、宅配便など間違えることも多い。

ピ〜ンポ〜ンが鳴って、荷物を受け取る。宛名を見れば、兄宛の荷物だ。すぐに運転手に声をかけ、間違っている旨を伝える。まにあえば良いのだが、すでに車が去ってしまったときなどは、しかなく私が届けることさえある。

高齢ということもあり、兄は「無車修行」の末に、娘に車をやってしまった。まあ、足腰が元気なうちは良いが、私も兄も、この先、心配でもある。とは言え、こんな不便な土地だからこそ、替え難い自然に囲まれ、季節の潤いを感じることができるのである。


水たまりの小径

 

 あの頃、小学校への通学路は舗装していない凸凹道が多かった。雨の日には水たまりができた。長靴で、わざと水たまりに入り、バシャバシャと水を蹴っ飛ばしては歩いた。

近くの家の池から逃げ出して来たのだろうか、ザリガニのいる水たまりもあった。雨の日も楽しい通学だった。

冬になると氷もはった。長靴でツルツルすべるのも面白かった。

車社会の発展とともに舗装がすすみ、水たまりのある道は少なくなった。

ここ、鎌倉山には未だに未舗装道路がある。雨が降れば水たまりもできる。

バス通りから鎌倉山記という石碑を曲がり、しばらくすると舗装が切れる。そこから徒歩で数分、集会所の近くまでが未舗装だ。雨が降ったあとには水たまりができる。私の好きな散歩道でもある。

周りは自然に囲まれ、見上げるような大木や孟宗竹に囲まれている。秋には沢山のドングリに混ざってイガに包まれた栗も落ちている。足元にはシャガやウマゼリ、スイカズラ、アジサイなど季節の花も咲く。雨以外の日は毎日、歩いているが、小綬鶏(コジュケイ)に出会うことも多い。何羽か連れ立っている。近づくと、びっくりしてチョコチョコと走って藪の中に消える。よっぽどでない限り、あまり飛ぶことはない。キジバトやガビチョウは警戒心に欠けるのか、近寄るまで気が付かないことが多い。

ここ以外でも、鎌倉山動物病院の裏手の未舗装道路も良い。ここからの眺望が素敵だ。大船市街地から遠くに横浜のランドマークタワー、横浜ベイブリッジも遠望できる。さらに遠くには雪をかぶった富士山が遠望できる。

水たまりの小径、今となっては貴重な道だ。


5/10 18:30 撮影 
5/10 18:30 撮影 

富士山

 

私が鵠沼海岸に住んでいた幼い頃、毎朝学校に行く途中にいつも気になる大きな門の家があった。門柱の表札には「富士山」と書かれていた。名字が富士、これはそのまま読めば良い。問題は名前だ。後に「山」と書いて「たかし」と読むことを知った。それにしても、さん付けで呼ぶ場合は、やっぱり「ふじさん」になるんだな〜、と冗談のような本当の話はさておいて、私は富士山が好きだ。

恥ずかしいことに、私は富士山に登ったことはない。五合目までは車で行くことができるので、若い頃には何度か行ったことがある。しかし、五合目あたりに近づけば荒っぽい茶色の砂のような傾斜は、遠望する優雅なイメージとは違う。

近くなら富士五湖あたりから見る富士山も素晴らしい。身近に感じるその雄大さに圧倒される。

ここ鎌倉山から見る富士山が良い。朝の散歩で見る、晴れやかな富士、ビール片手に見る夕闇の富士、見るたびにその表情は変わる。

真冬の深夜、冬化粧した富士が月の光に照らされてぼんやり見えることがある。偶然に二度しか見たことがないが、暗闇にかすかに光る富士については、あまり知る人はいないだろう。

また夏の晴れた夜には登山中の人が撮るフラッシュがピカっと光るのも見えることがある。最近は弾丸登山とか、マナーを守らない無謀な登山をする人が多いと聞く。また、ロープウエイを新設する計画もあるとかないとか。あまり富士山を荒らしてほしくないと思うのは私だけではないだろう。

 

M先輩と毎月グループホームでギターに合わせ入居者と一緒に大きな声で合唱する。その時に使う歌集の最初が、やはり「富士の山」だ。

この歌集はM先輩の手作りで、14年間に六回も改訂され、現在200曲も掲載されている。何度改訂されても冒頭は「富士の山」だ。

『頭を雲の上に出し 四方の山を見下ろして 

雷さまを下にきく 富士は日本一の山』

この歌をうたうと、何故か元気が湧き出てくるのである。

              夫婦池公園
              夫婦池公園

早朝散歩「夫婦池コース」

 

雨がふらない限り、ほとんど毎朝散歩をしている。いろいろなコースを約一時間歩き回る。今回は、その中のコースから自称「夫婦池(めおといけ)」コースをご紹介する。とてもローカルでニッチな内容なので、遠方の方にはわかりづらいと思いますが、ご容赦を。

我が家を出たら、階段を下り、バス通りに出て鎌倉山ロータリーを右折、しばらく歩いて、老人ホーム沿いを右折、道は徐々に狭くなり、人ひとりしか通れない急な坂を下る。こんな所に、「ポツンと一軒家」。見上げるような左側斜面は美しい竹藪、そして坂にへばりつくような墓地を左に見れば、すぐに幅広い車道に出る。「観光いちご園」の三叉路を右に回り込めば、兄のホームページでも紹介している「仏行寺」だ。更に進んで「三嶋神社」でお参りをし、道なりに進むと「夫婦池公園」に到着。ここで、歩を緩めてゆっくり進む。

池の水は濁っているがよく見れば大きな鯉が沢山見える。その合間を縫うようにヨタヨタと泳ぐ小さな亀が水面に時々顔をのぞかせる。運が良ければ、鮮やかなブルーとオレンジ色のカワセミを見ることができる。目にも止まらぬ速さで飛び抜け、森の中に消える。対象的に、のんびりと鴨の家族が浮遊している。そんな、のどかな景色を愛でたら、気を取り戻して登り坂にかかる。鎌倉山集会所の交差点をさらにまっすぐ登ると、(四月の下旬には)左側に見事に咲き誇るシャガの群生が見られる。

 鎌倉山神社    
 鎌倉山神社    

夫婦池公園から、ここまでの登り坂が、このコースで一番の難所だ。汗を拭き拭き更に進む。右側「安心堂」(心療内科)の古めかしい石の門柱の三叉路を右折、すぐ左にあるインク・ギャラリー(と言っても何も標識は出ていない)T字路を左折、道なりにすすみ次のT字路を左折、数十メートルで鎌倉山神社に到着する。神社と言っても、十数段の階段を登ったところに、苔むす小さな祠(ほこら)があるだけだが、何故かここで手を合わせると清々しい気分になれる。私の好きな神社だ。

 

ここまで来たら、あとは裏道をまっすぐ行き、下ったところのT字路を右に曲がれば、以前は棟方志功の作品を展示していた旧「棟方版画美術館」だ。あとはバス通り沿いに進み、「見晴らし」バス亭の階段を上がり「鎌倉山ローストビーフ」の前を通過して帰宅。これだけ歩いて1時間強、約6千数百歩、およそ4.5㌔だ。これからの季節は帰宅後のシャワーが気持ち良い。さて、明日はどのコースを歩こうか。鎌倉山は散歩天国だ。

赤字※は外部リンクです。

変貌の鎌倉山 後編

「大邸宅」

 変貌の鎌倉山 後編

「大邸宅」

 

写真は、ここ数年で話題の「無理やり建築」の大邸宅。こんな所に、とびっくりしたのは、バス通り沿いの石垣をくずして建てた、巨大な家だ。 散歩仲間の情報によれば最近見かけなくなった女優の高木美保のご主人(台湾国籍の大金持ち)が建てたらしい。屋上には愛犬用のプールもあるという。石垣を崩す工事から2年以上もかけ、数億円もかけて建てたのに現在は誰も住んでいないという。不気味な佇まい。もちろん表札も出ていない。

大邸宅では、最近テレビで見なくなった、みのもんた邸。まるでゴルフ場のクラブハウスのようだ。深夜でもこうこうと明るい室内照明が光っている。 

素敵なツリーハス、今は取り外されてしまった(2020年6月撮影)
素敵なツリーハス、今は取り外されてしまった(2020年6月撮影)

フラワーアーティストという不思議な肩書を持つ假屋崎省吾も引っ越してきた。彼も出番は大分少なくなっている。この邸宅のシンボルだったツリーハウス(写真)は、彼が引っ越してきた途端に取り外された。素敵なガレージもなくなり、そこには現在超ノッポの家を建築中。背伸びして海を見たいのだろうか。

そのほか、やはり出番が少なくなっているタレントのテリー伊東も近くにいるようだが、詳しい場所はしらない。

そしてこの人も、最近活躍していないようだが元NHKのニュースキャスターで政治家の宮崎緑の自宅は、それほど大きくはないが、四六時中門前に警官が一人いるのは異様だ。

売れなくなった有名人は鎌倉山がお好きなようだ。

大邸宅と言えば、鎌倉山神社の向かい側に、異様にデカい家が建った。母屋の他に二棟の別棟もある。お寺ではなさそうだが、鐘つき堂もあり、多くの灯籠が並んでいる。噂によれば、大金持ちの外人だそうだ。相当な日本かぶれなのだろうか。

我が家のすぐ近くには、昔のオペラ歌手藤原義江の自宅があった。暖炉が2つもある素敵な家だったが、取り壊され近代建築になり、今は台湾人の所有になっている。

見晴らしバス停の隣接地、そして更に上の土地も工事中。これから大邸宅ができるようだ。

 散歩のたびにこんなことが気になるのは、年金爺のヒガミなのか!

変貌の鎌倉山 前編

「分散化」

 

毎朝の散歩、気になるのは変貌する鎌倉山だ。

昔の大きな家が壊され、ある日、そこに重機がはいり開発が始まる。しばらくすると、売出し中の看板が立ち、売れたところから徐々に家が建ち始める。これらの過程を見るのも散歩の楽しみのひとつになっている。

 

具体的には、昔は立派な「日立山荘」があった広大な土地には、現在9軒の家が建っている。

家の1/3ぐらいが崖から飛び出して宙に浮いているような家。

おそらく、すべて特注で作らせたと思われる凝ったフェンスに囲まれた庭をもつ家など、駒は小さく分散したが、それぞれ、なかなか凝った家が多い。そしてガレージには外車が並ぶ。

現在開発中はバス通り沿いに集中して3箇所。写真は手前が三軒に分散し、既に小洒落た家が並ぶ、その奥に見えるのが現在開発中の土地だ。手前に写っている赤い自動車はテスラ、写真では見えないが、その手前のガレージにはミニとランドローバーがならび、さらに手前の家にはコンバーティブルの古いベンツが鎮座している。

昨今の経済環境から、広大な土地や邸宅を維持できず、このような細分化は致し方ないとも思うが、開発の度に桜や多くの木が切られ、緑が少なくなっているのは嘆かわしいことだ。(続く)

 

 

 

広町緑地の大桜

 

桜の季節、毎年楽しみにしているのが、広町緑地の大桜だ。今年も4/2に行った。自宅から歩いて20分で緑地の鎌倉山入口につく。そこから森の中を約10分歩いて目指す巨木に到着。その堂々たる姿には、いつも圧倒される。樹齢200 年以上と言われているこの大桜、種類は山桜だろう。染井吉野より開花が少し早い。今年は少し出遅れたようだ。下の方は既に葉桜になっていた。

20年ぐらい前に、この緑地に宅地開発の計画があったが、反対運動が起こり、論議の末、鎌倉市が買い上げて自然公園とした。

私が初めてこの大桜を見たのは、さらに遡ること、今から30年以上も前だ。その頃はもっと大きかったように思うが、その後に剪定などの管理が進んだのだろう、樹形は以前より整った。

 

今回は、ここから更に足を伸ばして御所谷入口まで、約40分歩いた。途中の湿地帯には木道が整備され、管理事務所そばの芝生広場では、幼稚園の子どもたちが遊んだり、お弁当を広げている御婦人達もいた。

帰路は、津村からバスで帰宅。全工程2時間8千歩強の散策だった。

のどかな春の日に爽やかな風を胸いっぱい吸い込んだ。何故か心が豊かになったような気がする。

 

 

3/26 朝6時すぎ、絶景に散歩の足も軽くなる。
3/26 朝6時すぎ、絶景に散歩の足も軽くなる。

体調管理は早朝散歩

 

先日、カンボジアのアンコール・ワットに行った。遺跡はすべて徒歩での観光となる。毎朝散歩しているので体力に自信はあったものの気温36度のカンカン照りのなか、何時間も歩くのは流石にこたえた。広大な敷地を、汗を拭き拭き一日2万歩も歩いた日もあった。

帰国翌日の朝、いつものコースを散歩。なにやら足が軽々と進む気がした。カンボジアでトレーニングをしてきたようなものだ。

毎朝の散歩、ここ鎌倉山は階段も多い、坂を下っては登る道も多い。その朝によって、それが苦痛に感じるときもあれば、らくらくとこなすときもある。それが私の体調管理になっている。

いろいろな道を歩くが、一番多いのは「鎌倉山神社」巡回コース、約1時間、6️千歩強のコースだ。時々、大股で歩いたり、調子がいい時は小走りしてみたり、それをする気になるか否かで体調がわかる。

一番つらいのは、散歩の途中で便意を感じたときだ。この辺りには公衆トイレはない。早朝なので知り合いの家に飛び込むこともできない。そういう時は、すぐに踵を返して帰宅することになる。なんとか我慢して帰宅。すぐさまトイレに駆け込む。ズボンを脱ぐのもハラハラしながら、なんとか間に合い、用を済ませたときの開放感。

そのあとは反省。「やっぱり、昨夜は飲みすぎた!」となるのである。

なんでも、ほどほどにとは思っているものの、自己規制がはずれると翌朝の散歩はつらいのです。

不便の効用 その②

 

2/4の当ページに鎌倉山の交通事情について書いたが、今回はお店について触れる。

ここ鎌倉山全体が風致地区となっていることもあり、お店と呼べるものは数少ない。

飲食関連は有名な「ローストビーフ鎌倉山」や「檑亭」、他にも最近話題になっている(らしい)「ル・ミリュウ」など数店あるが、何と言っても「喫茶マウンテン」(写真)は当地を象徴する店だろう。1985年(昭和60年)に開店したと言うから来年で40年となる。もともとは網野商店という雑貨店で、日用品から卵や駄菓子も売っていたらしい。この店から見れば他の飲食店はみな新参者だ。

高価で敷居が高い店、看板料理よりもお庭が売り物の店、旨い不味い、それぞれ評価は別として、それなりの飲食店はあるものの、なんとも不便なのは商店だ。

日常生活に関する商店はほとんどない。以前は酒屋や美味しいパン屋もあったが、現在は米屋と花屋があるのみだ。

一時は生鮮品を積んだ小型トラックがロータリーのそばまで来たこともあった。現在は食料品、日用雑貨も含め、山を降りなければどうすることも出来ないので、ほとんどの住民は車で買い物に行く。

そんななか、実兄は80歳をすぎ、「無車修行」と称して、不便なバスと自らの足でどこにでも行っているようだ。

毎日のメシぐらい、話題のウーバーイーツや宅配の食事など頼めばいいと思うのだが、味は期待できないし、歳のせいもあり、なんとなく抵抗があるので、まだ使ったことはない。

こんな不便さを差し引いても、毎朝の鳥の声、海、山の景観など、ここ鎌倉山の素晴らしい自然に勝るものはない。